あの時のことを思い出すと、心臓がぎゅっと締め上げられる気が致します。


当日、最初の揺れの時には、運転中でした。道路を渡っている方があわてふためいていて、?と思いました。建物から何人もの方々が飛び出してきて異変を感じました!😵


下車して余震の強さにビックリして、保育園の帰路あちこちでブロック塀が崩れ落ちるのを見ました❗

帰園後、室内の棚が倒れ足の踏み場もありませんでした。


8時過ぎには園児のお迎えもほぼ終わり、自宅マンションに帰れない保護者と子どもが「ここで一夜を過ごしたい」というのを受け入れ、あとを鈴木先生御夫妻に託して、帰途につきました。


いつもなら45分の道のりが途中の渋滞や通行止め等で、2時間かかりました。


常陸大宮チャペルも被害があり、鐘が落ちました!😭

寝室の私のベッドにはタンスが覆い被さり、寝ることが出来ませんでした。

礼拝堂の床になが座布団を敷いて、余震におびえながら睡眠をとりました。


礼拝堂と住宅をつなぐ中庭に面したガラスが粉々に砕け、風通しが良くなって(σ(^_^;)?)いました。

(翌朝、教会員の大澤さん御夫妻が大きなビニールシートを持参し修復してくださいました。)


あの震災で教会員の住宅も屋根瓦が落ちたり壁に亀裂が入ったり散々なことになりました。


あの時感じたことがあります。

①大変な時に、お互いに助け合うって尊いな❗

②遠距離通勤では保育園長は務まらないな。(翌年退職しました)


幸雄さんは、透析直後に揺れが来て、今まで自分とつながつていた機器がひっくり返しになって「九死に一生を得た」と思ったそうです。泰然自若な幸雄さんを見て、スタッフが「さすがに牧師さんは違うわぁ」と言っていたとか。


津波で家族や住まいを失った悲しみには及びませんけれど、それなりに傷みを抱えていました。



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